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生産者紹介 寺島保太良商店

生産者紹介
寺島保太良商店

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  • 京都府
  • 寺島大吾さん
  • 寺島保太良商店
  • 金糸屋
  • カードケース・ふるや紙セット(金銀糸のルーツなので・・・)
  • 1973/09/16
  • おとめ座
  • 宝物作りのお手伝い

私のこだわり

・製作する時に気をつけていることは?

金銀糸作りは、漆や金箔を使うので、湿度管理、温度管理が非常に重要です。
温度や湿度の管理で、出来が全く違ってくるんですね。金の輝きが全然違います。だから、その日の湿度によって、作業時間も決まってくる。何百何千枚の金箔を、何時間以内に張らなければいけないとか、時間との勝負になってきます。また、糸をまっすぐに湯のしして伸ばす時も、温度と湿度との勝負ですね。

切る時も、切り幅と撚りのピッチが最善の状態に保たれるように、100分の1ミリの精度で仕上げる高度な技が必要です。

そういった工程の管理には、一番気をつかっています。金銀糸を用いたものは、記念品として作られることも多いので、そのクオリティを保つために、最善の注意を払っています。

特に、純金、純銀の糸は職人の手作業による部分が非常に多く、市場にも、なかなか出回らないのですが、だからこそ、本金糸の放つ光沢は非常に美しいものになりますね。



・金銀糸には、長い伝統があるのですか?

金銀糸の文化は、1500年〜2000年にわたって育まれています。
金銀糸がいつから存在していたのか? 詳しい資料は残念ながら残っていないのですが、ヨーロッパではローマ帝政時代に、中国では初唐時代にはすでに金銀糸が存在していた痕跡があるようです。

日本では滋賀県甲山古墳から出土した金糸のかけらが、国内で最も古い金糸だとされています。6世紀ごろの遺跡だといいますから、縄文時代後半から弥生時代にかけての年代でしょうか。身分の高貴な方の装束の飾り刺繍に用いられていたようですね。おそらく、ヨーロッパからシルクロードを伝って、中国、朝鮮半島、日本まで伝わってきたのでしょう。1500年〜2000年間にわたって、金銀糸の文化が育まれていることを思うと、悠久のロマンを感じます。

・メッセージはありますか?

糸を使われる作り手さんの思いを一番大切にして、心をこめて作っています。京都の金の糸、銀の糸の美しさを身近に感じて、どんどん使って頂きたいですね。
金銀糸を使って皆さんが作る作品がよりいっそう美しい輝きを放ちますように、今後もなおいっそう努力していきたいと考えています。

生産者の横顔

創業明治30年、四代目の挑戦

寺島大吾さんは、創業明治30年の金銀糸製造を専門とする寺島保太良商店の4代目です。

現在、寺島さんの作る金銀糸は、日本全国のさまざまな地方での伝統工芸品や、洋装和装を問わず繊維産業、大相撲の力士が締める化粧まわしや、舞台や劇場の緞帳や袖、さらには日本各地で営まれているさまざまな祭りの巨大な山車、神輿、だんじりに装われる懸装幕などにも使われ、その豪華絢爛たる輝きで、たくさんの人々の目を楽しませています。

また、寺島さんは、金銀糸を使ったストラップやカードケース、帽子など、今までにない商品作りにも挑戦しています。

「金銀糸をはじめとする京都の工芸を身近に感じてほしい、という思いが常にありますね。だから京都のものづくりの皆さんにもご協力いただいて、自分たちでデザインして、京刺繍や西陣織、京組紐などを用いた商品開発を行っています。」(寺島さん)

合言葉は『誠実と丁寧』

寺島さんのモットーは、「金銀糸」を通じて、お客様や地域の『宝物づくり』のお手伝いをすること。そのための合言葉は、「誠実と丁寧」だそうです。

「糸を使われる方の思いを大切にすることが、一番大切です。
だから誠実に、伝えるべき事柄を、心をこめて理解をしていただくこと。
そして、丁寧に、伝えるべき言葉、お渡しする品物を真心こめて大切に扱うこと。その姿勢と行動が、最も大事です。これは、うちの企業理念でもあるんです。」(寺島さん)

京都の金の糸、銀の糸の美しさを、より多くの人に広めていく寺島さんの挑戦は、今日も続きます。

この生産者の商品一覧

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